曹洞宗青原寺
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青原寺について > 歴史・沿革

当寺は小岩嶽城主である小岩盛親、盛康親子の菩提寺として建立された。この父子は永禄4年6月28日武田信玄攻められ落城、同城にて切腹。開山は、盛親の請願により美濃の國(岐阜県関市)祥雲山龍泰寺第5世蘭如従賀禅師である。

小岩嶽城築城が大永2年(1522)であり、また本寺龍泰寺所蔵の文書により天文5年(1536)以前と推定される。蘭如禅師は龍泰寺の本寺である大雄山最乗寺(神奈川県小田原)第72世で、その文書は「華叟禅師嘱文之写」によると、文明3年(1481)3月18日の龍泰寺開山華叟禅師示寂の直前に法嗣の絶方祖「に附属した文。天文4年(1535)11月25日に諸堂が兵火のため、公状、法器、什物とともにこの嘱文も残らず消失してしまい、翌天文5年2月13日、龍泰寺5世蘭如従賀が改めて写しを作って龍泰寺室中に伝えたものである。その最後に、天文五年丙申年二月十三日 前最乗祥雲四世 青原開基 蘭如老衲(花押・下図に掲載)とあり、このことから青原寺の開創は天文5年以前と推定される。

小岩盛親・盛康親子の霊位
[上記の内容]
龍泰寺は相州大雄山最乗寺の末寺であり、最乗の法輪を転じて、了庵、無極、月江三師の法乳の恩に酬いるべきこと、及び、開基足利義尚の僧供を蒙っているので、永くその武運長久を祈るべきことが遺嘱されている。尚、この古文書は天文5年(1536)の当山開山蘭如禅師真筆の「華叟禅師嘱文之写」下書きで青原寺所蔵。

以後、第2世天恕正樹大和尚は東筑摩郡坂北村に碩水寺、第4世明岩正哲大和尚は、松本市源池に瑞松寺、第6世雲岩正立大和尚は同郡明科町に雲竜寺、第8世州山正益大和尚は上田市に前松寺、第9世松岩正祝大和尚は上水内郡鬼無里村に松巌寺、明科町に龍門寺をそれぞれ開基した。

その後、明治4年(1863)旧松本藩主戸田丹波守光則が神仏分離の掟を曲解して廃仏毀釈と解し、廃寺となる。しかし、明治11年(1878)9月9日内務省乙第57号の布令に基づき、第23世満室令充大和尚が有志者と図り、同18年8月8日、再興。そして現在第29世大活盛雄和尚と約470年法燈が存続されている。明治18年に本堂が建てられてから約120年、三方(南西北)を山に囲まれ、湿地帯で、建物が老朽化し、平成9年再建を発願し、善光寺顧問設計士である中村建築研究所が設計管理、北野建設株式会社が受注、下伊那郡生田木材技建株式会社が建築、平成14年12月に本堂の再建が完成し平成15年6月に落慶式典を挙行した。緑の木々を背景に、その前に本堂が位置する光景は、大自然と一体の禅宗のお寺です。